第三回ツインリンクもてぎオフ(その1) |
3月18日、世界最大のデルソルオフが
ツインリンクもてぎにて開催された!
その参加予定台数はなんと70台!まさに2年前には考えられなかった数字である。
私もひとりのデルソル乗りとして、その至福のイベントに参加すべく、
前日より栃木県へと乗りこんであった。
道中、年度末の工事影響からくる大渋滞やちらつく雪、そして前日に降って道端に残る雪
など、様々な試練と乗り越えて栃木県に到着!
ふっ、これくらいの障害では俺の太陽に様に燃え盛る、熱いデルソル魂の火を消すことはできん!
宿泊場所はもちろん、去年と同じく ホテルデルソル。
駐車場完備の 最高にイカス ビジネスホテルだ!
もてぎオフ当日の朝の天気は晴天!
まるでこれからのデルソルの明るい未来を祝福しているかの様である。
いや、祝福していると言いきっても良いだろう!
1週間前の天気予報では曇り、もしくは雨であった事を考えると
まさにデルソル乗り達の想いが呼びこんだ天気と言っても良いであろう。
ゆえに、この日の快晴を、私はデルソル日和と命名。
国を上げて祝日に設定する事を心から推薦したい。
ホテルデルソル宿泊組は、なんとデルソルのデザイナーである木越 氏のSLK
を先頭に、ホンダの栃木研究所を(端から)見学しつつ
一路 ツインリンクもてぎへと向かうのであった。
しかし、木越 氏に先導してもらうとは、なんと恐れ多いデルソルパレードであろうか(笑)
そして ツインリンクもてぎに到着!
すでに入場門の前には数台のデルソルが到着しており、さっそくデルソル談義に花が咲くのであった。
そうこうしている内に、ついにツインリンクもてぎが開門。
この日はツインリンクもてぎでイベントが開催される事もあって、入場料&駐車場代が無料!
合わせて2000円の出費が押さえられるという出血大サービス!
ゆえに、当初は渋滞などの混乱が予想されていたが、その心配なく
スムーズにツインリンクもてぎ内へと移動が行われたのであった。
はやる気持ちを押さえつつ、P32駐車場へ到着した私が見た光景!
それはまさに、駐車場を埋め尽くさんがばかりのデルソル、デルソル、デルソル!!
目もくらまんばかりの美しい光景が目の前い広がっていたのであった!!
ああ、わが人生に一片の悔い無しっ!何度この光景を夢に見た事であろうか?
私もさっそくデルソルを黒色のデルソルが並べられている区分に駐車し
その魅惑の集団の中にその身を投じるのであった(笑)
しばらく駐車場でデルソル乗り同士の熱い交流を行った後、
コレクションホールのミーティングルームへと移動。
オフは室内へのイベントへと移行が開始された。
ミーティングルームは、予定以上の人数が集まったこともあって椅子が足りなく
なるなど、予想以上の大盛況振り!!
そして部屋の中には、デルソル乗り達の熱い熱気が充満するのであった。
見よっ!この画像から溢れ来る熱気!情熱!興奮!
デジカメではなく、生の写真で撮影していたら心霊写真になりそうなくらいの
感情の渦が室内に渦巻いていたのである!
その興奮の中、デルソル開発のチーフプロデューサー、つまりは
デルソルの生みの親とも言える 繁 浩太郎 氏が登場!!
(この名前はテストにも出るのでしっかりと覚えておくよーに)
簡単な挨拶とデルソルに関する質疑応答だけと思いきや、
なんとデルソルが開発された理由やその開発段階の苦労話など
とても普通では聞く事ができない様なデルソル話を次から次へと披露!!
まさにそれは愛と感動の一大ロマン!
デルソルの歴史事態が、映画にしたらアカデミー賞総なめものと言っても過言ではないだろう。
そんな車と同じ時代を生きる事が出来、そして所有できた事を運命に感謝。
ああ、人生ってなんて素晴らしいんだろう!!まさにラブ アンド ピース!!
繁 氏の話を聞いて、そんな思いが部屋中に溢れかえっていたのであった。
さらに、怒涛にデルソル秘話はそれだけでは終わらないのである!
続いてデルソルのあの素晴らしきエクステリアデザインを生み出した、デザイナーである 木越 氏より
デルソルのデザインにまつわる話が披露されたのだ!
いやもう話が凄すぎて、どんな話だっかたは詳しく紹介出来ないのが残念でなりませんな。
その話は、今回の参加者の記憶と魂だけに、強く刻み込まれるのであった。
凄い!こんな凄いオフになるなんて、いったい誰が予想したであろうか?
はっきりいって、幹事も予想できないほどである。あう
さらにさらに 繁 氏、木越 氏の両者が、初期のデルソルイラストを紹介しつつ
そのイラストを見てその時の思いを語っていただくという素晴らしい話へ突入!!
以下、その一部を紹介である。
まずはじめに言っておかなければならないが、実は木越 氏の計らいにより
正式にホンダからデルソル初期イラストのホームページ掲載許可をいただいたのである。
こんな時に言う言葉は、そう!「ビバ!」
もちろん中には資料は持っていても紹介できない物もあるが、
このあたりはオフで公開するとして、これからはホームページで初期イラストを紹介できるのだ!
これで、さらなるデルソルに素晴らしさを、世界に発信する事が出来るぞ!!やった!!
このあたりは、メインページでさらに詳しく紹介するので、活目して待つべしっ
まずこれは、かなり初期のトランストップ案イラストですな。
今のSLKを彷彿される動きをしております。
ちなみに、デルソルが「はじめにトランストップありき」と言った様に
幌じゃない電動オープンで、簡単に開閉できてオープンを楽しむ事が出来る車
として開発された事はデルソル乗りの間ではかなり有名な話だが、
今のトランストップ方式は、開発初期にはまったく未定であり、
様々な思考錯誤の上に生まれた方式なのですよ。
つまりは、デルソルのトランストップは、凄まじいまでの
生みの苦しみを味わいつつ開発されたオープン方式なのである。
トランストップオーナーはそのあたりを理解しつつ、
感謝の気持ちをこめてトランストップを動作させるよーに。
これは中期段階くらいのイラストと思われますな。
なんでも、両氏の話よると、デルソルにおけるエクステリアデザイン決定の
ターニングポイント的なイラストであったらしいですな。
ほとんど完成形に近いですが、なんでもこのイラストで「これだ!これで行こう!」と
デルソル開発の皆さんにやる気を起こさせたデザインであるとか。
いわば、今のデルソルのデザインにおける原点とも言えるイラストでしょう。
ちなみに、このイラストにある様に
黄色いホイールは 木越 氏の最初のデルソルのイメージであるとか。
ある意味、太陽と象徴しているのであろうか?
真のデルソルを目指している人は、ぜひ黄色いホイールでドレスアップだ!
これはかなり最終的なイラストですな。
フロントバンパーにサイドマーカーがある所を見ると、北米仕様のデルソルのイラストだろうか?
ちなみに「SR2」ってのはホンダでデルソルを表す記号らしいぞ。
開発に携わった方達には、「EG‐1」とか「EG‐2」って言い方は馴染みが薄いらしい。
そういえば、デルソル専用の部品番号には「SR2」の文字か書かれていますな。
そんな訳で、デルソル通を気取りたい人は、
これからデルソルを呼ぶ時は「SR2」って呼ぼうぜ!
多分、ほとんど無視されると思うけどな(笑)
デルソルにおける、異色中の異色とも言えるイラストですな。
なんでも、電動オープン機構が最高潮に煮詰まっていた頃、
デルソルはルーフを運ぶ為にトラックの様なデザインになっていたとか。
そんな車は嫌だ!だったら電動オープン機構の無いデルソルを作りたい!!
とデザインされた、電動オープン機構のないデルソルらしいです。
まだマスクがデルソルっぽくない所を見ると、かなり初期のデザインかな?
これはかなり後期、とゆーか完成形に近いデザインですな。
アクセサリーライトはあるが、ヘッドライトの大きさはまだまだ今の様な
ぱっちりとした大きな二重瞼を彷彿させるような大きさではありませんな。
そうそう、デルソルのデザインにおけるコンセプトは
ボディに四隅にライトを配置する事だと言う記事を雑誌で読んだ事があったので
その事の真相について木越 氏に突撃インタビューを試みてみた。
うむ、俺の報道魂(野次馬根性とも言う)がうなりを上げるぜ!
その結果、やはりそのデザインコンセプトは正しかったという事が証明されたのだ。
木越 氏曰く、ボディの四隅に大きなライトを配置する事で
視認性を良くし、安全性を向上させた為。との事。
テールライトに至っては大きいだけでなく、少し高めの位置に設置する事で
後方からの確認性を良くしたとか。
デルソルのデザインはカッコ良いだけでなく、
こんな安全性も考慮されたデザインなのである!!
これは、ほとんどデルソルにおける完成形のイラストですな。
最終デザインというよりも、デルソルのデザインが決定してから
書かれたイラストであるかもしれませんな。
電動オープン機構、つまりはトランストップを念頭に入れた車のデザインという大きな制約の中で
これほど素晴らしい、デザインを生み出した木越 氏とデルソルのデザインに携わった
多くの方達の才能に惜しみない拍手を送ろうではありませんか!!
ああ、見れば見るほどなんて素晴らしいデザインである事か!
これはデルソル内装における初期のイラストですな。
まだまだ現在のデルソルのデザインとはかなり相違点があるな。
とゆーか、同じ点を探した方が難しいかも(笑)
シートにはセンターラインが書かれて見えるが、ここはかなり初期の頃より
デザインされていたものなのだろうか?
そういえば、このセンターラインには面白い逸話があって、
繁 氏 曰く初期の段階では下側のラインがかなり長かったそうな。
その為、シートに座るとそのセンターラインがかなり股の間から覗いてしまい、
赤色のセンターラインだった場合は、まるで股の間から舌がべろ〜んと出ている様な
イメージを与えてしまい、いや〜ん まいっちんぐ な感じであったとか。
(注: 繁 氏は まいっちんぐ なんて言っていません)
それではあまりにも問題があるだろうと、今くらいの長さにまで短くされたらしいぞ。
さらに両氏の貴重な話を聞いた後には、デルソル関連のビデオ上映となり
これまた普通では見る事が出来ないようなデルソルの貴重なビデオが上映されたのであった。
気がつけば、あっという間に時間は過ぎてしまい、最後の30分で
強引にじゃんけん大会が開催されたのであった(笑)
じゃんけん大会は私が司会をしたけど、恥ずかしいのでレポートはパスな(笑)
とにかく血で血を洗う大争奪戦が繰り広げられたとだけ言っておこう。
とにかく、今回の話を聞いて私が感じたことは、
デルソルを未来に残さねば日本の未来は無い!という事だろう。
その存在理由、コンセプト、デザインどれをとっても
デルソルには満ち溢れんばかりの魅力に溢れている!
しかし、そんな素晴らしい車が販売的には芳しくなかった(涙)なぜだっ!?
バブル経済が崩壊し、日本が長期の不景気へと突入した事もデルソルの良さを
理解する事が出来なかった日本社会への罰であると言っても良いだろう。
いや、この場合未来を見つめる為にもあえて言い方を変えよう。
多くのデルソルが未来に残されれば日本の未来は安泰だ!
そう!まだ遅くない!これから一人でも多くの人にデルソルの良さを伝え
一台でも多くの、いや一つの部品でも多くのデルソルを残していけば
きっと明るい未来が待っているだろう!!
そして私は、あらためてこの車の素晴らしさを未来永劫子々孫々語り継いで行く事を
心に誓うのであった(^^)/ デルソルに光あれっ!!
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